2017_summer_oroshi_J
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-6-■ 醸 家 ブレア・ウォルター(Blair Walter)ニュージーランド北島ワイカトの農家で育ったブレアは、父親がパイロットとして飛行機で肥料散布事業をしていた影響で、子どもの頃から農業と空を飛ぶことが大好きだった。 しかしパイロットなるためには空軍に入隊せねばらならないことから、断念。南島クライストチャーチのリンカーン大学農学部へ進学する。そこでワインへの好奇心が深まり、大学院に新設された1年間の醸 ・栽培学修士課程に進む。クラスで最年少のブレアがラボ・パートナーを組ん のが、ワインにのめり込んでいた熟年のスチュアート・エル ズである。2人は卒業後の再会を約束して、エル ズはブドウ栽培に理想的な土地を探すためにセントラル・オタゴへと向かい、1992年、希望に叶う土地をバノックバーンに見つけた。クロ ウェルから畑へと続く道の名前でもある「フェルトン・ロード」の畑はこうして誕生した。その間、ブレアはニュージーランド、オーストラリア、ナパ・ヴァレー、オレゴン、ブルゴーニュでヴィンテージを経験する。畑でブドウが実るようになると、エル ズはブレアに連絡をとり、1996年、ブレアはフェルトン・ロードに参画した。ブレアはワイナリーの設計やビジネスプランの作成にゼロから取り組み、海外での経験を元にしてファインワインを るために必要不可 な条件を着々と整え、今日に至る。ワインメーキング以外では、40歳でパイロットの資 を取得。また持ち前の機械への興味が高じて、ワイカトの実家の車庫に何年も眠っていた家族の最初の車、メッサー・シュミットのバブルカーを自分で修理した。■ オーナー ナイジェル・グリーニング(Nigel Greening)オーナーのナイジェル・グリーニングを一言で紹介するならば「フェルトン・ロードのワインが好きなあまりワイナリーを購入した人」と、ブレアは言う。しかし、マーケティング・スペシャリストの英国人がなぜ地球の正反対に位置するニュージーランドへ、しかも世界最南端のワイン産地セントラル・オタゴまではるばるやって来たのか。ナイジェルの尽きることのない、わくわくするような話から、彼にとってフェルトン・ロードとはつまり夢であり愛してやまない2つのこと― 好きなワインを好きなニュージーランドで る ―を具現化した結果であることが分かる。ナイジェルは1998年、ついにフェルトン・ロードにほど近い、2つの川が交差する川辺に突き出たコーニッシュ・ポイントの土地を購入した。そしてフェルトン・ロードのエル ズに教わりながらブドウ栽培を始め、2000年にエル ズがフェルトン・ロードの売却先を探していると聞くと、すぐさま手を挙げた。自らの所有するコーニッシュ・ポイントとフェルトン・ロードの畑・醸 所・醸 家(ブレア・ウォルター)という組み合わせがナイジェルの夢を早々に叶えたわけ が、その後フェルトン・ロードが急成長したのは、ナイジェルの強靭な忍耐力とヴィジョンがあったからこそである。フェルトン・ロード設立当時とその後初めて販売されたセントラル・オタゴのワインは1987年産のリースリング った。オタゴのパイオニアたちは当初、ピノ・ノワール、カベルネ、シラーなど様々な品種のクローンや台木を植えていた。しかしエル ズがブドウを植え始めた1992年には、セントラル・オタゴに最も適した品種はピノ・ノワールであると広く知られるようになっていたので、彼はフェルトン・ロードでピノ・ノワール、シャルドネ、リースリング、ソーヴィニヨン・ブランの栽培を始めた。ブレア ―― 自分がセントラル・オタゴに来た1996年にはブドウ栽培面積はわずか200ha ったが、20年後には2,000haにまで広がった。今でもオタゴには新しい畑が増え続けているが、グラン・クリュと称されるような限られた場所は誰かがすでに所有している。オタゴの栽培面積の8割はピノ・ノワールで、ピノ・グリ、リースリング、シャルドネと続いている。ナイジェル ―― 2000年にフェルトン・ロードのオーナーになったその夜、ブレアと一緒にビールを飲みながら、フェルトン・ロードの今後について2人で10年計画を書き上げた。ワイナリーは稼働効率のよいサイズであると同時に、我々がハンドクラフトワインの生産者でいられるくらい小さな規模である必要もある。生産量は年間400樽、12,000ケースと決めた。それから10年後、再び将来の計画を話し合おうとしたら、なんとブレアは10年前のその同じ紙をテーブルに置いた。我々は当初の目的を達成し、その後もプランを変える必要はないと感じたわけだ。それまで通りに続けていく けだね。ブレアは、畑とワイナリーでの20年以上にわたる取り組みについて語る。◆ 畑での25年  フェルトン・ロードを設立した当時、ニュージーランドではさまざまなクローンと台木を買うことができたので、エル ズはいろいろと試みた。当時、オタゴではま フィロキセラは生息していなかったので、自根で樹を植えたものもあった。長年かけて、フェルトン・ロードのクローンは、多様性に富む面白いものとなった。最も気に入ったクローンが2つ、二度は植えなかったものが2つ、その他6-8種のクローンは複雑味を加えてくれる。オーケストラの交響曲を聴くのと同じで、いくら好みであっても2つのクローン けでは木管楽器 けを聴いているようなもの。より幅広いクローンの組み合わせにより、深み、複雑さ、繊細さが生み出される。農地は生きる生態系そのもの。畑での作業は自分たちの価値観やスタイルに合致するやり方で取り組んでいる。有機 培は自分たちが目指す品質のワインを るためにやるべきと思うからやっているのであって、宣伝のためではない。ワインラヴァーは生産者がそうすることを当然と思っているから、有名な畑がバイオダイナミックでないと知ると、むしろ驚く。バイオダイナミックは、自分たちにとって畑の環境を整えていく上でより積極的、活動的に対応できるツールの一つと位ヴィレッジ・セラーズ30周年記念企画︓ 生産者に聞く ー 第2回フェルトン・ロード (ニュージーランド南島、セントラル・オタゴ)ワールドクラスのハンドクラフトワイナリー―― フォーカスを定め、最善を尽くす―― ヴィレッジ・セラーズ30周年記念の特別企画「生産者に聞く」。第2回は フェルトン・ロードのオーナー、ナイジェル・グリーニングと醸 家ブレア・ウォルターです。ニュージーランド南島セントラル・オタゴで最初の商業用ワインが られたのは、わずか30年前。その4年後、スチュアート・エル ズが現在のフェルトン・ロードの土地を購入し、その後フェルトン・ロードが世界最高レベルの評価を得るまでにさほど時間はかかりませんでした。ナイジェルとブレアが、ワールドクラスのワイナリーを創り上げるまでの「最善を尽くす」こ わりが、セントラル・オタゴの地を背景に生き生きと伝わってきます。                          〈聞き手︓ディオン・レンティング (キーウィ・コピー) 2017年5月〉

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